心内環境

最近クズ男に依存している女の子の話がよくTwitterで回ってくるので、お気持ちを述べたくなってしまった。

 

相手に騙されて泣かされている間に「私がこの人の為に泣くのは愛なんだ」「好きだから泣くんだ」「この人はやっぱり特別なんだ」とか思ってしまう現象、なんなんだろうか。どう考えても泣かないで笑ってる方が所謂「正解」であろうに、そこから外れることによって特別感が生まれてしまうのは、なんなんだろうか。

 

ずっと、檻の中から、ぼんやりと普通の恋愛の幸せを眺めているような気分だった。つい最近まで。「私はあの人しか好きになれなくて、あの人も何だかんだ私に戻ってくるに違いない。今までだって結局そうだったし。またどこかで関係が生まれて、紆余曲折あった上で、最終的にはあの人と私は結ばれるに決まってる。」心の中ではそう考えていたんだと思う。前に踏み出さないで振り返って、そんな夢ばっか見るのは楽だったなあ。

私が苦しむ度に相手も苦しんで、私が傷つく度に相手を傷つけて、なのにどうしてお互いに依存していられたんだろう。不思議で仕方ない。他と違う異常さに特別を重ねていた?幸せだった頃を忘れられずに、戻らないそれに今の私達を重ねていた?お互い嫌なところが似てたし、変にロマンチスト的な気持ち悪さがあったからね。ボロボロになった自分たちが、きっとそんなに嫌いじゃなかった。

 

今でも思い返すと涙が出るくらいなのに「別れてよかった」とも「付き合わなければよかった」とも思えない。別れるまでは問題なかったからかな。別れた後、ただの先輩と後輩と戻れてたら、何年も中途半端にしてなかったら、こんな風には葛藤してなかったろうにな。不幸せでいて欲しいと思う反面、幸せでいて欲しいとも思う。いつになったら相手に感情を抱くことが無くなるんだろう。でももうあんまり苦しくないし、二度と関わりたくないって思えている現在が本当に安心。だんだん考えることが無くなって忘れられるんだろうな。

 

でもあんな恋愛の仕方、二度としないってことも確かで。あんなにボロボロになるまで誰かに執着することは、きっと私の人生で二度と有り得ない。恋愛においても、友情においても、物体においても。いい勉強になったって私は思えるけど、あの人は思えてるかな。そう願ってる。

 

なにしろ依存は良くない。誰かが居ないと生きていけないってめちゃめちゃダサいよ。生き甲斐と依存は多分違う。流されるままに生きてるのは楽しいのかな。楽しいならいいと思うんだけど。現に、あの時の私は、自分の意思で共依存してたからね。

あと期待は出来るだけしない方がいいね。期待しちゃったら、失望する可能性が生まれるだけだし。相手がくれるものを素直に喜んで、自分があげたいものを素直にあげれる、そういう関係でいるのが、多分「普通」なんだろう。

あんな恋愛してきた私だし、知ってる人は知ってるどうしようもない遍歴の私だけど、急に「普通」なんて出来るのかな。って思ってたけど、無理しなければその内どうにかなるから大丈夫だよ。みんな大丈夫さ。

まあクズに引っかかっても自分が満足するまで、引き上げられないからね。そういうもんだよね。どれだけトラウマ残っても、あとあと経験として消化出来るから大丈夫だよ。

 

独り言だけど、もう後ろ振り向いて歩かなくていいんだよ。私は大丈夫だから。