一色

タイトルの曲を聞いてて、ふと思うことがあったから書くことにした。

 

最近やっと、また自分の為に色々頑張れるようになってきた!気がしている!

 

コロナで家に籠りきってて、最初は精神を病みかけたけど、だんだん本当に自分のことだけ考えられるようになったのがとても良かったのだと思う。自分が嫌な人とは、距離がちゃんと置けるようになったからね!悪意とか関係なくても、自分のこと傷付けてくる人は私の人生に要らないし、関わりたくないよね出来るだけ。社会人になる上でそういうのって切り捨てられないのはやっぱり分かってるんだけど、プライベート的な領域に踏み込ませたくないかし、家の中まで考えたくないから、上手くシャットダウンしていけるようにしたい。表面上はそれなりに上手くやると思うから許して欲しい。

 

でも人を完全に嫌いになり切ることって結構難しい。良いところと悪いところ、両方とも人には絶対に存在していて、好きだから許せる嫌いなところもあれば、なにがあっても許せない嫌いなところもある。私は基本は、結果的になんでも許せるタイプの人間なんですが、相手が間違ってると思うことは絶対に指摘しないと気が済まないし、私を意図的に変えようと働きかけてくることだけは本当に無理。意見とかとして飲み込むことは全然するけどね。

やっぱり人と人は適度に興味が無いのが一番上手に付き合っていけると思うんだよ。それがめちゃめちゃ難しいんだけど。

 

別に自分さえ良ければいいって極端に思い詰めてる訳じゃない。実は、世の中の人も別にそこまで他人の為に生きてることなくない?結果的に回り回って自分の利益になるからやってるか、人に頼まれて断りきれないで流されてるかの2択だよね、大体の人は。

普通に困ってる人が居て、自分が助けられそうだから出来ることをしてるだけって人もたまに見かけるんだけど。こういう人は人に見返りを求めてないから凄いなって純粋に思う。普通の人って「私は誰かの為を思ってやってる!」って意識があるような気がする。その優しさは嬉しいけど、それで自分の首が絞まってて不愉快なら、ただただ頭悪いから辞めた方がいいと思うんだよね。「誰かを助ける為に自分は犠牲になってる」って偽善でしかない。誰かの為に生きてる自分が好きなら辞めればいいのにな。

 

でもまあそれも一つの生き方なんだろうけど、私には理解が出来ないし、好きな人達だけの為にしか動けない。その好きな人達を助ける為に「やる」って決めたことは引っ込めないし、そもそも無理ならやらないし。優柔不断だけどそこで迷ったりしたこと、あんまり無いな。

人には人の人生があるから自由なんだけど、なんだかなあってモヤモヤしてしまう。助けた側が「上」で、助けられた側は「下」なのか?強そうな人は偉くて、弱そうな人は駄目な人なのか?

こんなこと言っておきながら、私は他者の理解がとんでもなく苦手だし、共感性もそれなりに低い。人の気持ちが手に取るように分かる訳じゃないし、話を聞いてまるごと寄り添ってあげられる器の大きさはない。ムカつくことされても許せないことされても、人並みに受け入れられる寛容さはあるんだけど、それを認めてあげられるわけじゃない。頭では「人にはそれぞれある」って分かり切ってるんだけど、他人が頑張ってないように見えたり、我儘に見えたりしてしまう時があるの。

 

教職の授業受けてても本当に思うけど、「多様性理解」ってめちゃめちゃ難しい。好き嫌いがあるのは分かるし、得意不得意があるのも分かるんだけど、「やらなきゃいけないことをやらない」「守らなきゃいけないことが守れない」っていうのは責任感無いんだなって思ってしまう。そうしたくても出来ないような、目に見えない事情を抱えてる人がたくさんたくさん居るのに。不公平だって思ってしまう。本当に世の中の不公平さを感じてるのは、どう考えても事情がある人の方なのに。本当に嫌だなあ。どうしたら私は分かるようになるんだろう。