躍起

私は大人な格好良い女性になりたくて今まで生きてきた。いつからそう思ったのか憶えてないけど中学あたりからそう思ってた気がする。昔から年上が好きだからな。無意識に追い付きたくなってんのかな。

 

前髪伸ばしたからか、着るものを変えたからか、大人っぽいって言われることが増えた!見た目じゃなくて雰囲気とかも!昔から「冷めてる」だの「無愛想」だのはたくさん言われてきたし、その印象が決して消えた訳じゃないんだろう。でも大人っぽいって言われるのめちゃめちゃ嬉しい〜〜〜!!遊んでそうとか不倫してそうとかも同じくらい言われるけど、まあそれも私が目指す路線の些細な付加価値、付随物的なものだから仕方ない。そこの軽さは言動でそう見られないようにカバーしていきたいな。目指せ峰不二子!目指せNANA

 

あとは撮る写真が褒められるのもめちゃめちゃ嬉しい!誰かに認められるためにカメラを構えている訳ではないけど、褒められるの嫌いな人あんまり居ないよね〜綺麗な景色に出会って時間も忘れてシャッターを切りたいな。でもそうする時間的余裕がなくて困ってる。もっと知識も機材も必要。だけど今出来る程度の最高をもっと知りたい。真っ直ぐに心がすっきりする。

 

心がすっきりする繋がりで言うと、ランニング冬になってから出来てなくて悶々としてる。運動は基本的に好きじゃない。苦手じゃないのは公私共に認めてるところだと思う(?)ただこう頭使うよねスポーツってなると。でも走るだけって本当に何にも考えなくて済む。「辛い」「疲れた」「楽しい」は流石に考えるけど、それって複雑な思考回路を必要とするものじゃない。そんなに言うなら早く走れよって話なんだけど、寒くて外出れないよね単純に。冬まじやべー。さみー。

 

皆も褒めてもらいたいとかあったら教えてね。ストレス溜まってて精神が限界迎えそうな時に、意味もなくめちゃめちゃ褒めてもらうのも効果的治療だから、そういう時も伝えてね。積極的に褒めにいくよ。こう見えて褒め上手だからね。

 

疑ってるだろ。

嘘じゃないよ。

奮起

最近頑張れない。詳しく言及すると大学入学後。見に行きたい映画があってもそこに行くまでの気力が湧かない。時間通りに起きれても布団から動けない。待ち合わせギリギリの時間なのにぼーっとしちゃう。人の嫌なところに目を瞑れない。怒られても素直に受け取れない。やらなきゃいけないと分かっててもそれに取り組めない。色んなことが我慢出来ない。多分逃げ癖がついてる。

 

皆そういう時くらいあるよって思われるかもしれないけど、今までの私からすれば異常な状況でしかない。逃げる理由にめちゃくちゃな論理を飾り立てて盾にして、その後ろに隠れてる所なんかめちゃめちゃタチ悪い。

 

私こういう人間が一番嫌いなのにな。高校の時の私は、やらなくていいことから存分に逃げる奴だったけど、やらなきゃいけないことから逃げる奴が大嫌いだった。自分が当たり前に出来ることは他人も当たり前に出来て当然だと思ってたし、出来ない人は全部努力不足に見えた。褒められても羨ましがられても、自分がその分努力してるって思えてたから、謙遜なんかせずに認められた。今思えばめちゃくちゃ傲慢だな。今も変わらず傲慢ではあるけどそれとは違うタイプの傲慢。今よりは自信家だったんだね。

 

前に書いた気がするけど、高校時代は全方向に頑張れた。頑張る自分が好きだったし、中学時代にそうしなくてめちゃめちゃ後悔してたから。何より頑張ればそれなりに報われてるように感じられた。勉強すればその分成績がぐんぐん伸びたし、練習すれば部活の皆から認めてもらえた。まあ勉強も部活も後悔してることは今もあるけど。どこまでやっても後悔することは痛いほど憶えてるのに、なんで今の私は頑張れないんだろう。不思議だな。

 

ぼんやりと、頑張りが目に見えて報われることがないからだろうなとは思う。勉強も人間関係も部活(?)も初めのうちはそれなりに頑張ってたんだけど、頑張っても先が見えなくて、疲れた。報われて、はないかなとりあえず。大学卒業まで頑張り続けなきゃ報われない気すらする。でも頑張らなくても大学生活送っていけちゃうんだよね今のところ。

 

人の為に頑張るとか出来ない、自分の為にしか生きれない人間だったんだけど、今は自分の為にも頑張れなくなってきた。目の前の怠惰に流され続けている。好きな物とずっと一緒に居る為には、それなりの努力が要る。何の引替えも無しに楽しく生きていける訳ない。分かってる、分かってるんだけど。とにかく頑張れない。頑張る理由であるはずの自分が理解出来ないし、頑張れない自分がそもそも嫌だから。敗北的循環。

 

えーでも頑張らなきゃな。循環を断ち切るためにはどんな方法でも何とかしなきゃな。とりあえず明日から全部頑張る。頑張ることの有益さ、溌剌さ、悦びをどうにか思い出さなければならない。もう一度自分を好きになるために。自分のことを全て分かるのは自分だけなのに、その自分自身が自分を愛せないなんて幾ら何でも悲しすぎるからね。上手に息抜きしながら、頑張って生きていく。誓います。

 

この結末に繋げて、誓いを文面に遺しておきたくて書いたから、皆監視しててね。

終焉

この世に生を受けたからには永遠ではない。自分が相手をどんなに大切に思ってたって、そんなこと関係なく人は終わる。その終わるという選択がもし相手の自主的なものだったら、私は正気を保ってられるかな。相手の意思だったんだからって尊重して認められるかな。「なんで相談してくれなかったんだろう」「私の存在はその子の人生の何の影響も与えられなかった」って思っちゃうだろうな。

 

でも、私だって明日を生きる事への執着心なんて無い。自分から命を絶つことはしなくても、眼前に死が迫ってきてもきっと避けない。理由は特にないけど。なんとなく。大人になればなるほど未来への希望なんてすり減ってくだけで、それに自分への期待値も比例してるような気がする。それが理由なのかな。今が楽しいから、それより楽しくない未来なんて想像したくない。刹那を生きていたいな。周りにいる皆とお別れしたい訳じゃないんだけど、先に執着できない。

 

小さい事で言えば、大学の皆との別れとか、好きな人との別れとか、些細なんだけどそういう変化が怖い。大きな事で言えば両親との別れとかね。親が死んだらその肉を食べてみたい。積極的に食べたいって事は確実にないけど、多分食べることは可能。自分にどんな感情が起こるのか単に気になる。そこまで出来なくても遺骨リングとかめちゃめちゃしたい。それだけで日々を生きていく糧になると思うし、何より私の身体が相手と接触していられるようにしたい。書きながら泣きそうになってきたから辞めます。

 

サバサバしてて言葉もかなりキツいから、人情的な所がかなり欠けてるように思われがちなんだけど。実はめちゃめちゃ執着強いし、甘えん坊なんだよね。まあ他人より自分が一番だけど。だからこそ、その「自分」が好きな人は大切にしたいし、ちゃんと愛したいよ。我儘だけどこの世から消えてなくならないでね。私の前から居なくなってもいいけど、生命として消えてなくならないでくれ。

疑心暗鬼

ちょっと書き始めたら、すぐブログハマっちゃう私の安易さ可愛いよね。

 

人を疑うことに疲れた。他人って何を考えてるか分からないのめちゃめちゃ怖い。人間は理性のせいで回りくどくて困る。心は脆いから気を遣わなきゃ生きていけない。でもすべてに気を遣って生きていけるほど私は万能じゃない。悪意は単純で分かりやすいから寧ろそっちのが楽なのではとすら思い始めた。

小学校からの付き合いで、不機嫌も上機嫌もたまに体調不良すら分かる友人が居るんだけど、言葉を選ばずに言えば、すごい、楽。何も考えなくても何もかも分かる感じが無敵。こう言ったらこんな反応するだろうな、こう不機嫌になったらこう言えば機嫌直してくれるかなってある程度分かってる、と思う。私のエゴだったらごめんね。でもそこすら疑う余地がない。

もう一つ例を挙げると、バ先のKっていう上司。分かる人は分かるんだろうけど、すごい馬鹿。無神経で自分さえ楽しければ良いような人。でも私はそれがすごい楽で。最低限のマナーはお互い守るけど、あとは楽しく話せば楽しく笑えて、それで良いのが有難い。難しい話なんてしないし深い話も勿論しない。それでも楽しい。なんでだろう。この人はプライベートで関わることがないからそんな関係性で居られるのかもしれない。

 

どんな友達でも仲良くなることに限界ってない。でもどこまで仲良くなったとしても、いや寧ろ仲良くなればなるほど、小さなミスが命取りな気がする。少なからずみんな「この人はこういう人」っていう固定観念がお互いあると思う。その枠組みから大きく外れて失望させた時、もう信頼ってそんな簡単に取り戻せない。どんなにプラスのことをしてもそのミスを拭い去ることって不可能に近い。加算は難しいのに引算って死ぬほど早いの超不条理だよね。私は言いたいこと言えるようになりたい人種だから、ミスをする確率が人より多いはず。だから人に失望される確率も人より多くなる。重々承知の上でそう生きてはいるし、間違ったことを堂々と言ってるつもりはない。けど、私の正義がその人にとっても正義であるかどうかなんてわかんない訳で。そもそも人の気持ちなんて何がスイッチで変わっちゃうか分かんないよね。優しく声をかけてくれたって、楽しく笑ってくれてたって、心配そうにしてくれたって、本心では、裏では、何考えてるかなんてわかんない。心のままに生きるなんて、そんな単純に生きてこられるほど、みんな一直線な人生きっと歩んでないから。

 

もし嫌いになったらすぐ言って欲しい。直ぐに離れるから。我慢して傍に居ないで欲しい。なんで人の心は見えないんだろう。丸見えでもきっとそれが怖くなるんだろうな。難しいね。嫌われることに怯えたくないから、早く嫌いになって欲しいとすら思う夜もあるんだよ。

そんな私は人を上手に嫌えなくてずっと苦しい。

今日は楽しいことを書きます。

 

私はお化粧するのが生き甲斐なんですかってくらい大好きなんだけど、自分の顔が好きだからとかそんな幸せな理由ではなくて。自分の顔に自信がなくて化粧し始めて。まあ化粧が上手くなればなるほど自分の元の顔が嫌いになるわけですね。こわーい。っていうのはまあ置いておいて。自信を持つ方法の一つなのかな自分にとって。

 

最近買ったSUQQUのファンデーションとか、去年買ったMACのリップとか、半年前に買ったLUNASOLのアイシャドウとか、本当にそういうものが心からキラキラして見えるの!机の上に並んでるそれを見るだけで超楽しくて超幸せ!お金がかかってるからっていうのはそれは勿論そうなんだけど、なんだろうそれだけじゃないの。

 

カメラで写真を撮ったりとか、マイクを持ってステージで歌ったりとか、お化粧は私にとってそういうのと同列の行為。そこに他人の趣味なんて干渉させたくないし、私には私の完成形があって。濃いだのケバいだの男の人から言われることも多いんだけど、私はお前らのためにお化粧してないし、もっと言えばお前らのために人生を生きてやるつもりも毛頭無い。(まあ本当に好きな人から言われたら、その人と会う時くらいは薄くするかもしれないけど笑)

 

その中でも今日はとにかくお化粧すんの楽しかったな〜!女の子とお化粧の話するの本当に楽しい。高い化粧品の話とか物凄い技術とかじゃなくてね。「なんか今日の肌いい感じ」とか「なんかいつもとメイク違う?」とか「そのリップすごい似合ってるね」とか、女の子にしか分からない感性のあの会話がめちゃめちゃ好き。男の人でも分かる人は分かるんだろうけど、別に好きな人に分かってもらえなくてもいい。女の子として産まれて本当によかったな、女の子超楽しいなって思える瞬間があるから、どんなセクハラされても、どんな容姿の蔑まれ方しても、女の子辞められないなって思う。

 

こないだとある女の子にお化粧させてもらった時、可愛くなってるのは勿論なんだけど、目がキラキラしてるの凄い伝わってきて、やっぱなんかすごい幸せだったなあの空間。自分が持ってるお化粧品全て、可愛くなりたい女の子のために使いたいな。まあ可愛くなる方法はお化粧に絶対限らないと思うんだけど。私の中では可愛いスイッチを入れるのがお化粧だったってだけだから。

 

とにかく女の子は強くて可愛いから最強だよね。可愛くなりたいってその気持ちが超素敵で超愛おしいな。

 

私は私のためにお化粧するし、好きな洋服着るし、それは私の権利だと思ってるから、誰にも邪魔させないよ。超楽しいからね。みんなも自分なりの「可愛い」で生きていこうね。誰がなんて言おうとみんな自分の幸せのために生きていこうね。

戦々恐々

今なにがいちばん怖いって人に愛されないことが怖いんだけど。まあ愛されることも怖い。何言ってんだこいつって思われるのは分かってます。

愛される時間があるってことは愛されない時間があるってことで。付き合うってことは別れを生み出してるわけだと思うんだよ。絶対的に。頂点に到達すればもうそこからは落ちていくだけなのと一緒で。ずっと一緒もずっと好きも怖くて信用できやしない。言動でしか愛は伝えられないのに、言動だけじゃ愛は証明できないでしょ。

 

そもそも私を好きって思う貴方の気持ちが分からない。私ですら好きじゃないのに、何も知らない貴方がそんな無責任に好きにならないで欲しい。でも嫌わないで欲しいな。今私の周りにいる頼れる異性がみんな消えたら私生きていくのとても辛くなると思うんだよね。利用してるって言われても仕方ないし、すごい嫌な女に成り下がったなって思う。異性とか関係なくって助けてくれてるなら全然いいんだけど、きっと私が女の子じゃなかったら、貴方たちにニコニコしてなかったら、夜中の電話には出てくれないだろうし、心配だってしてくれないでしょ?ほら、お互い様だよね。都合良く人に頼らないと生きていけなくなってしまった。

 

話してて楽しいとか、一緒に居て楽、とか思える人はそれなりにいるんだけど、それだけ。会いたいわけじゃないし、恋人ごっこも別にしたくない。好意を向けられて気持ち悪くなるパターンが徐々に分かってきたんだけど、圧倒的な熱意と下心が、私は無理みたいで。所謂ヤリモクとかは全然大丈夫なんだよね。でも私のことが好きでどうこうしたいとか、そういう情の部分が入ってくるともう、本当に無理。理不尽な言い分。

私ばっかり好きでいたい。こっちを見てる時間は少しでいいよ。私より自分を大切にして欲しい。献身的な目を向けないで欲しい。

 

こうなるともう普通の恋愛は出来る気しないんだよね。まあ不倫も気持ち悪いからしたくないけど。好きって言って欲しいけど、そんなに大きい気持ちを貰っても受け止めきれないからなーって。なんだろうね。異性を心の底から愛したいんだけど、そういう感情がもう思い出せない。思い出せそうな相手は居るんだけど、そこに縋り付くと一般的な幸せは見えない。

 

普通に出会って好きになられて、好きになって。そんな上手くいくことあるの?凄いな。

早く誰か適度に適度に愛してください。矛盾ばっかでごめんね。

よしなしごと

たまに思うことを長めに書いてみることにした。こんなことするの中学以来なので、うまく書ける気がしない。

人の心を揺らすとか、そういう高尚な目的なんかはもう飽きたから、心の中の整理に近い、かなり自己満足なものになりそうだなって思ってる。

見る価値も見せる価値もないのは承知済です。勧められたのもあるけど、まあ試しにね、やってみるのも有りかなって。

 

大学生になって暇な時間が増えて、考える時間も増えた。色んなことについて。高校までは自分のことばっかり考えてて、毎日自分のやりたいことがあって、それをして、やりたくないことからは逃亡一択だった。それが出来てたのは、私がやりたくないことを誰かが代わりにやっていてくれたからだって、最近気がついた。ずっと笑っててくれたあの人も辛いことがあったはずで、それなのに私は傲慢な語りを必死に聞かせてたんだなってことも。今もそれは大して変わってないんだろうから、私の周りにいる人にはごめんねってふと思う。

 

そう、大学に入ってから、苦手な人も増えた。関わり合う分母が増えたから当たり前なんだろうけど、上手に我慢して上手くやっていくことが、少し、出来なくなってきてる。自分で言うのもなんだけど、それなりに世渡りは下手じゃないと思ってきた。適当に楽しく人とやっていけない人を見て、なんて生きづらそうなんだろうとさえ思って生きてきた。けどなんだろう、たまに凄い苦しくなる。人の嫌な所ばっかり目について、全部辞めたくなる。完璧な人間なんて居ないのにね。人はそれぞれ自分の限界の中で必死に戦ってるのに、自分はこんなにやってるのにって思う時があって。自分だって出来ないことも見えてないこともたくさんあるのに。自分の余裕が無くなれば無くなるほど、周りに目が向いて攻撃的になってる。早く居なくなりたいな。不完全な自分が受け入れられないし、そのくせ良い人にもなれない自分が本当に嫌い。偽善でしか生きていけないのかな私は。

 

私が良かれと思ってやっていることは、本当にみんなの為になってるのかな。為になるっていうのはかなり上からの言葉だから、んー、なんだろう。

差し出がましくない?迷惑じゃない?押し付けてない?私は上手にみんなを愛せてるのかな。

 

昔は自分が全部正しくて、とにかく自信があった。人より頑張ってる自負があったし、能力もそれなりにあると思ってたし、完璧な大人になれると思ってた。でも今は、毎日が進んでくのが怖い時もあって。楽しかった勉強も音楽も全部捨てたい。頑張ってれば全部報われると思ってた。今まではそうだったから。大人になることは苦しいって本当の気持ちを隠しながら、私は生徒に何を教えようとしてるんだろうね。

 

全部気付かなければよかったなって思うよ。楽しいことも辛いことも。私のことも貴方のことも。

 

なげえ。